この旅の大きな目的の一つ、念願の毛無峠へと向かったのだ♪

夜明けの福井原公民館前を抜け

電気のゲートもおっかなびっくり、開けたら閉めて、、

いよいよ、毛無峠まで繋がる林道湯沢線へ♪
と思ったら、、

では、しかたなく112号で、

グングン登って

峠を目指します。

さっきの、林道湯沢線を走れたらココに出てこられたんだ、、
すごく残念だけど次回にぜひ!

森林限界を越えましたッ

すげー!

半端ない!

振り向くと、文字通り毛の無い山に鉄塔が並びます

鉄塔越しに浅間連峰を眺めます

この鉄塔、どこまで続いてるんだろう、

まわりは2000m級の山々が連なる。
奥は草津・白根山の方で、

峠の反対側は北信五岳&妙高方面だ。

目の前には破風岳(はふうだけ)がそびえ立つ

タロウに戻って先まで行ってみよう

長野県道112号線は峠を越えて群馬県側へ

標高1823Mの広場から群馬側を見晴らとすと、
112号がずーっと先まで延びている。

荒涼とした風景の先に浅間連峰を見渡せます

エキサイティング!さっきから興奮しっぱなし、
もう、いてもたってもで、、コタロウが出てきましたッ
先に何があるのか、この眼で見たいんだ、肌で感じたいんだ!
尽きない興味と好奇心が、プラス75cc分程の推進力なのだw

そして、必ず戻ってくるとタロウに誓い、
ココからは何があっても自己責任と覚悟を決める。
*iPhoneを新しくして(5にね)初のセルフタイマーなのだ♪

エントリーッ!

こりゃまるでパイクスピークみたいだぜ
(行ったコトないけどw)

破風岳(はふうだけ)の麓を抜けて

これからあそこを走るんだ!

ヤバすぎる♪

すると、眼下に広がるのは小串鉱山跡だ!
説明しよう、
小串鉱山とは、大正12年から昭和46年に閉山されるまで、最盛期には2000人を超える人々が暮らし、学校や商店に診療所、遊具場まであったという。
ピーク時には国内3位の採掘量を誇ったという小串鉱山は、薪を燃料に使う家庭や、戦争で使う火薬の原料として、多くの硫黄の鉱石を採掘し、それを製煉していたようだ。
なるほど、、
先ほどの鉄塔も、鉱石を長野県側へ運ぶためのものだったのですね。

すると路傍に白樺の植林?こんなとこに人の手で木が植えてある、
観光事業?自然再生事業の一環かな。

だいぶ下ってきたら先に何か見えてきた

いよいよ来ました、小串鉱山跡へ

安全を確認しながら行けるトコまで行ってみよう

途中、左へ坂を上がると地蔵堂があります。
犠牲になられた方々へ手を合わせ、
少し休憩をさせて戴きました。

地蔵堂の中には、鉱山住宅のあった頃の写真など、
貴重な資料が多数展示してありました。

こちらもS38年と46年の鉱山、
S12年の大規模崩落事故のあとの写真です。

いよいよ出発です、急な坂を下って、

製煉台地へ下って来ました。

すると、さらに下に段丘が、
この急斜面、いくつものバイクの轍も確認できるが、
単独だし原チャリ、念のため徒歩で降りてみるコトに、、

下に降りて先っちょまでいくと、
風向きと風速を観測中でした。

すると、さらにもう一段、
よく見ると、下のエリアにはコンクリ製の遺構などを確認出来ます。

見上げれば坑口が、あんなとこ怖くて行けねぇや

ココでは無邪気に遊ぶ子供たちの生活もあったのでしょう。
実際に来てみると、あまりにスケールの大きな荒涼とした風景で、
素直に「最高だぜー!」って叫ぶのも憚れた(最高なんだけど)。
冬は豪雪、夏でも常に風が吹きすさぶ、厳しい環境のこの地に、
かつて2千人を越える人々の生活があったのか。。凄すぎる、、

もっと下にも降りてみたかったけど、、
どこから来たのか分からなくなっちゃうから
今日はココまでにしておきましょう。

毛無峠へ、コタロウと来た道を戻ります

どこを切り取っても画になります

つづら折りのダートを振り返ると鉱山の全景が、
本当に素晴らしいです。

左手に国土交通省の雨量観測所があるカーブを抜けて、

毛無峠(1823m)と小串鉱山の、探検・調査終了です。

毛無峠は何度でも来たい、素晴らしい場所でした。

峠から鉱山一帯を見渡すように立つ、索道のための鉄塔は、
かつての天空の鉱山村を偲ぶ、墓標のようにも見えたのだった。

また来るコトを約束し、峠をあとにした。

さぁて、まだ午前中だぜ、
旅を続けよう!
